2016年8月13日土曜日

安藤の砂上の楼閣

安藤明は時代の風雲児、仕事を終えて役割を果たすとこの世をすぐ去っていった。
そのような仕事を成す男の下には資金が集まり、その為の物資があつまる。
彼の豪邸もそのひとつだろう。摩天楼のように現れ、砂上の楼閣のように過ぎ去っていった。

五反田駅を過ぎて、第一国道をそれ、仲原街道に入る。
横浜を目指し、裏洗足池の手前を右折すると、千束の高級住宅地に入る。
坂を下り始めるとすぐ安藤の邸宅が右に見えてくる。

ブーイック41年車

土地1200坪、邸宅150坪、白壁に鮮やかな空色の瓦を載せた塀に囲まれて、庭の樹木が高々と塀越しに見える。

坂道の途中に入り口があり、石段を数段上がると、植木に囲まれた門がある。中には石畳の道があり重厚な洋館の表玄関がある。

六畳ほどの表玄関から中に上がると、十畳ほどの待合室があり、その奥の間が30畳ほどの応接間となっている。入ると吹き抜けの広間で二階の天井からはシャンデリアが2本長く垂れ下がり、さらには二階にはテラスがせり出している。

六畳ほどの表玄関から中に上がると、十畳ほどの待合室があり、その奥の間が30畳ほどの応接間となっている。入ると吹き抜けの広間で二階の天井からはシャンデリアが2本長く垂れ下がり、さらには二階にはテラスがせり出している。

大窓からは植木越しに広い庭園の芝生が見え、奥にはこんもりと森のような樹木が邸宅を守るように立ち並んでいる。庭園を横切る池には1メイトルもの大きな緋鯉が何匹も泳いでいる。




応接の隣には大きな書斎があり、続いて奥の間は和風の大部屋が2つ、廊下伝いに安藤の離れ間がある。台庭に入ると、大きな二階建ての土蔵が白壁を見せてずっしりと建っている。ここには300坪ほどの園芸があり、安藤が好んで野菜やらの栽培を楽しんでいる。
さらに庭園の裏は倉庫と車庫がある。

戦争中はこの庭園の地下に防空壕が掘られていて、避難場所と共に倉庫として使われていた。


人間の運命なんて分からないよね。
こんな天国みたいなところに住み、銀座に会社のビルが3つ。全国に支店。社員2万人ともそれ以上とも言われた。
熱海海岸
熱海海岸
  (熱海の海岸。別荘前 安藤と男児)

別荘にいたっては、熱海に2つ、一つは「お宮の松」の前、通りを越えれば海。
ここは家族の専用。父は熱海の山腹に海を見下ろ斜面にある広大な別荘だが、
砂上の楼閣だったんだ。こんな時代もあった。