2016年8月12日金曜日

緊急命令 米軍司令官26日正午に厚木に着陸

海軍本部に入った佐藤は、和田本部長の緊張している顔を見て、

「おそくなりました。お呼びでしたか」
「ああー、早速ではあるが大至急厚木に行ってもらいたい」
「何用でありますか」

「米軍の司令官が26日正午に厚木に着陸すると言ってきた。君も知っているだろうが、小園司令が終戦反対と叫んで騒動を起こしている。君は小園と同期だから説得して飛行場を整備してくれ」

佐藤はしばし唖然として、

「小園のことは百も承知していますが、頑固でちょとやそっとでは動きませんが」
「我々が如何に説得しても聞いてはくれない。高松の宮殿下の説得も聞かん」
「佐藤大佐、君が頼りだ。何が何でも解決してくれ」

「ここでアメリカとドンパチやったらどうなる。日本国の命運が掛かっているんだ。天皇陛下の・・・」

と、直立して言葉をにごす。
佐藤は非常事態を如何に処するか内心ピーンときて、
しばし時間を置き腹を決めて、

「分かりました。厚木のことは私に任せていただけますか?」
「よろしい。まかせる。直ちに行ってくれ」

事態は急転直下するのである。

「車を用意してくれ」部下に頼むと、
「大佐、あいにく動く車がありません」
部下の声を聞いて、待たせていた安藤の車のことを思い出す。
「そうか。よい。なんとかする」

ここが運命の分かれ道であったとは安藤は知るよしもない。
安藤にしてみれば工事代金が気になるところ、貰えないかもしれない。

「くそー遅いなー、毎度のことだがまたもや延期か?敗戦なんだ貰えなくてもしょうがない」

と、半ばあきらめながら機嫌を直して待っていた。
佐藤はなにやら蒼白の顔をして急ぎ足で下りてきた。

「やー済まぬ済まぬ。実は君に折り入って頼みがある」と、厳しい軍人の顔を見せた。
「なんですか」と安藤がはき捨てるように言う。
「実はな。君も知っているだろう厚木のこと。俺は直ちに厚木に行かねばならん」
と軍刀を強く握り締めて厳しい目つきで安藤を射るがごとくに見るのである。

安藤はこれまで幾度も物入りの危機をくぐってきているから、佐藤を見て尋常ではないと悟る。

「すまんが、車を貸してくれ」

ビューイック41年型高級車

安藤の自家用車は日本に一台しかない41年型ビューイックの幌つきアメリカ製の高級車である。

(この車はかって開戦前までアメリカの駐日大使のジョセフ・グルーの使用していたもので、帰国後グルーが米国で親日的な政治活動をした功績を知るにつけ、グルーの車と安藤との運命的な不思議な縁を感じる。後にこの車は安藤の稀有な運命を乗せて「亡国の淵」を走るのである)

「分かりました。いいでしょう。乗ってください」
運転手は安藤の信頼を一心に集めている手塚修である。
大柄で、色白、笑うたびに白い前歯を大きく出すのが印象的だ。

「手塚。厚木へ行くんだ」
「はい」

佐藤は大正15年12月、小園と共に霞ヶ浦の航空隊に入隊し、その後たびたび同じ隊で勤務した。
(戦争中は俺が相模の航空隊に、小園は隣の厚木航空隊にいて、兄弟以上にお互いを知り尽くしている。彼の気持ちは良く分かる。我々軍人は大なり小なり皆同じ気持ちを持っている。小園はその気持ちをここでいち早く爆発させたんだ)

「ところで、安藤さん」
走り出してから、しばらく沈黙していた佐藤が話し出した。

「事のついでに俺の骨を拾ってはくれまいか」
「えー、なんですって、ただごとではありませんね」
「俺はな、覚悟を決めているんだ。小園を説得が出来ないことは俺が一番よくと知っている。だからな俺は小園と刺し違いにして死ぬんだ」
「俺が生きて帰れないときは代金も払えないが」
「こりゃー問題だ」ただ事でないこの事態に、安藤は
「よろしい。いいでしょう。こうなったら一緒に行きましょう」

安藤は自ら運命の鍵を180度逆回転させたように、呉越同舟のドライブとなっていく。
ことはこんなちょっとした出会いと人の縁によって動いていく。

安藤は、このドライブが天下を取るような勢いの人生を、天下を動かす影武者となってまっしぐらに全身全霊を投じて、天皇制護持にまい進し、ついには地獄に突っ込むドライブになっていくとは、誰が想像するであろう。