それからである。西銀座の本社ビルの屋上から『天皇制護持』の懸垂幕が大きくかけられた。
毎朝社員を集めて屋上の社殿に拝礼と皇居に向かい最敬礼を実施した.
「社長は何かが乗り移っているようで、生き生きとしていた」
連日のようにバーナード フイッシャ大尉と面会して手がかりを模索した。
丁度マッカサー元帥の側近、ボナー・F・フェラーズ将軍(マッカーサーの軍事秘書、准将)がある人を探していると言う情報を得た。
安藤はフイッシャー大尉に同行し、アメリカ大使館の門をくぐった。
「これはチャンスだあ。おそらく民間人として訪問するのは最初でらう」と述懐している。
フェラーズ将軍に会った安藤は、
「私は小泉八雲(http://www.geocities.jp/bane2161/koizumiyakumo.htm)の孫と
戦前アメリカ大使館の武官をしていたとき親交があった。この際小泉さんと会いたいので探してほしい」と依頼をうけた。
安藤は、早速警視庁の西村直己総務部長(後の自民党代議士)とあってこの件を依頼した。幸いに探し出すことが出来、9月10日安藤は小泉氏を伴ってフェラーズ将軍に面会し、
「将軍は、直ちに再開が出来たことに驚くとともに大いに喜ばれ、お陰で私も大いに面目をほどこすことが出来た」と、
安藤の日記にある。
特に安藤が驚いたのは、
「アメリカが日本を敗戦に間追い詰めたのは間違いであった。これは自由主義国家郡の大損失であり、ソ連に漁夫の利を与えることになるアメリカの失政であった」と断言した。
安藤は驚くと共にこれはチャンスだと思った。
「天皇制を守らなければ日本は必ず崩壊するであろう。ソ連が日本に共産主義を作り上げるであろ」
と訴える。
将軍は、
「フィッシャー大尉から君の事は聞いている。マッカサー元帥とも相談してできる限り協力をする」と、
安藤にとっては空を掴むような難題にたして実に心強いありがたい言葉を貰った。
日本の占領政策はマッカサーを始めとする12~3人の「バターンボーイズ」とよばれるグループによって決められていった。中でもフェラーズ将軍と、マッシューバ大佐が実権を握っていたのだった。
フェラーズは親日派の第一人者で元帥に多大な影響を与えていた。
「フェラーズ将軍の居室はマッカサー元帥の隣にあり、私との相談に必要に応じてすぐ元帥の答えを持ってきてくれたと、GHQの心臓部へ食いさがり心臓の鼓動が聞こえてくるのであった」と、
「敵であるアメリカ軍の将軍が日本再建の政策として、必ずしも天皇制を排除しないとの心情を吐露してくれるとは」
安藤は信じがたい実情に驚きを隠せなかったと、述べている。