2016年8月13日土曜日

事業の支援者


一方、戦後の仕事はかっての戦需景気とは一変して、復興が喫緊の仕事であって
大安組もその対応に追われて業務の改変に取り組んでいた。

丁度折りも折、大安組は逓信省(ていしんしょう、電電公社、NTTと変遷する)の総裁と縁ができ戦後復興の第一陣として電話線のケーブルを修理復旧する火急な仕事を受注した。

日本全国に及ぶ膨大な仕事だった。
後に国会議員、東海大学総長を勤めた人で有名な松前重義さんが、この逓信省の総裁をしておられた。松前総裁は、厚木基地復旧の功績を認めて大安組を指定業者としたのである。松前総裁と安藤の縁は多大なもので、事業の支援者であるのみか天皇制護持への影の功労者として安藤を引き回すのであった。

親さまのお告げは、事業の支援者でもあり天皇陛下のお為に二人して尽くすことになる。

松前重義(Wikipedia)

信じ難いが奇想天外な発展が広がるのである。
松前総裁は工学博士として高松宮の技術顧問として、宮のお傍におられた。
日本が欧米に比べてはなはだ脆弱であり、危機迫る戦争末期の戦況を分析しご進言されていたのである。
通信ケーブルの延長工事が進むにつれて、大安組は社員と営業所を増加させ、次第に全国的に発展していった。
戦後復員軍人に対して、新聞に大々的に求人広告をだして
「私は戦後の失意の中にある戦後の復員兵にたいして、少しでも元気になったほしい」と安藤は気を使っている。
親さまの告げた協力者とは予想外の人格者であり、事業家であり安藤の影の指南役として活躍されるのである。