2016年6月3日金曜日
取調そして拷問
国思い 道にじゅんじし ますらおの
心しのびて 我はいくなり
安藤の辞世の詩である。
[東京自家用自動車組合会長 安藤明]の名刺の裏に釘で書いたものである。
安藤はこれを分厚い手帳の裏表紙に貼り付けて保存していた。
大安組本社、別館などの家宅捜査も行われ、重役の総務部長増田一悦も逮捕されたのである。
増田は、元日本新聞の社長であり、安藤の思想的参謀であった。
安藤にも勝るとも劣らない熱血漢で大安クラブでの状況を知っているのは、
この増田と外部の松前総裁だけであった。
逮捕は大安クラブにおける米軍高官の懐柔と増収賄の容疑であった。
取調べは、新橋駅近くの田村町のCIA(情報局)で行われた。
「彼等の目的は、贈収賄者の名前を言え!の一点張りで、次々と脅しをかけてくる。
ピストルを突きつけられたが逆に睨み返し、相手が震えていたが、大安クラブでの調査資料を持ってきた」
安藤に見せては、
「これは安藤がやった贈収賄の一覧表である。増収の一切を認めよ」と」言うものだった。
「ここまできて天皇制護持の城壁を崩せないと、死を覚悟で黙秘を貫いた」と書いている。
「ベリービッグガイだ」と中野刑務所に移され、拷問の開始である。
2百燭光の強い光線を当てられて、フイに椅子を払って転倒させたり、ネクタイで首を絞められたり、「一番つらかったのは、竹くしの先を火で焼いて爪の間に突きさすのだ。その爪を靴で踏まれて悲鳴を上げたが、黙秘を貫いた」
「次の日の小便は血に染まってたいた」と書かれている。
マ元帥やGHQ恩人、皇室にも問題が及ぶと感じ、安藤は3度縊死(首吊り)を企てた。
「私は腹巻で三回企てたが、不思議にも布が切れて成功しなかった」とも述べている。